■アナリストになる人々の出身
アナリストになる人々の出身が、米国とわが国では大きく異なります。
わが国の場合、僅かに事業会社から証券界への転籍者が出始めていますが、米国の場合は医薬品アナリストならば、カレッジ→薬剤師免許取得→製薬会社勤務→ウォール街というパターンが典型的であり、その他の業種においても、このパターンが珍しくないのが特徴です。
また、セルサイド・アナリストからバイサイド・アナリストへ転じる道もあり、また再度、自分が育った業界の企業へ戻り、IR担当者として活躍する道もあります。
■米国のアナリストの朝
朝のミーティングが終われば、出張に出かけるアナリスト、機関投資家の顧客に電話するアナリスト、大きなカンファレンスやセミナーの準備に着手するアナリスト、アシスタント・アナリストと今後の執筆レポートの打ち合わせに入るアナリスト等など、多様なアナリスト活動が始まります。
■米国のアナリストの昼
米国のアナリストの昼は通常、ハンバーガーかサンドイッチを自分の机で頬張りながら、ニュースを見たり、PCに向かうアナリストが多いです。
しかし、自分の所属する証券会社が「ランチョン・ミーティング」と称して、ホテルの小部屋に機関投資家の顧客を昼食に招き、アナリストが食事中に「プレゼンテーション」し、終了後、自分も少し食べてから、Q&A(質疑応答)を行い、2時頃帰社するケースも多いです。
午後は、夕方から始まる担当企業の「インフォメーション・ミーティング」に参加して、終了後、特別な質問があれば、少し居残って会社側の経営トップと談笑します。
このときは「リフレッシュメント」と宣言されているので、アルコールを飲むアナリストもいるが、最近は減ってきています。
そして、アシスタント・アナリストに仕事を任せて、早く帰宅するのが普通になっています。
■米国のアナリストの歴史
1920年代から「アナリスト」という職業が発展してきたのですが、当時は、社会的地位の低い職業で、またアナリストが分析対象にする企業数も少なく、財務諸表や会社からの情報発信も極めて貧弱なものであったと推測されます。
しかし、長い苦しい道のりを経て、1962年「財務分析の父」を敬われたベンジャミン・グレアムを中心に、アナリストを公認会計士のような社会的に高い地位の「プロ」を目指してきたのが、CFA(公認財務アナリスト:(Chartered Financial Analyst)である。
現在、米国には、AIMR(Association for Investment Management & Research)という組織があり、40000人近い会員がおり、そのうち約36000人がCFAとして登録されていると推測されています。